天下人 徳川家康にまつわる裏話
天下人 徳川家康にまつわる裏話
(1543~1616)
徳川家康(以後「家康」とする)と聞いて皆さんはどのようなことを思い浮かべるだろう。学生時代社会科目が苦手だったという方でも、豊臣秀吉の死後天下統一を果たした人物ということは思い浮かぶのではないだろうか。また、現役の学生さんや社会科目が好きであった方であれば、「泣かぬなら泣くまで待とうホトトギス」という歌や関ヶ原の戦い・大御所政治・方広寺鐘銘事件といった家康と関係の深いキーワードが浮かぶかもしれない。共通して言えることは、家康という人物は江戸幕府を開き、その後約260年間続く平和な世の中の礎を築いた偉大な武将及び政治家というイメージを持っているということである。
ではどうしてこのイメージが持たれたのかというと、言わずもがな小学校~高校の教科書の影響であろう。この様な家康に対するイメージは事実であると思うが、あくまで一面にすぎないのである。教科書に載っている表の歴史だけではなく裏の歴史を見ることも歴史の面白さの一つだと思い今回記事を書くことにした。
[目次]
- 「実はイメージと真逆?!家康は短気だった?!」
- 「天下人はう〇こを漏らしていた?!」
- 「意外にも健康マニア?!」
- 「家康の死因は天ぷら?!」
- まとめ
1.「実はイメージと真逆?!家康は短気だった?!」
「泣かぬなら泣くまで待とうホトトギス」というこの歌は多くの方が、一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。この歌から家康という人物は、ホトトギスがなくまで待ち続けるくらい気長な性格であったと思っている方が多いと思うが、実はそうではなかったかもしれないのである。そもそもこの歌は家康本人が詠んだものではなく、江戸時代後期に何者かが詠んだとされる詠み人知らずの狂歌であるため、家康が気長な性格であるというのははっきりとはしていない。むしろ家康は、戦場では血が上りやすく、思い通りにいかないことがあると爪を噛んだり、軍配を噛んだりしていたのである。
2.「天下人はう〇こを漏らしていた?!」
家康の裏話の中でも特に強烈なエピソードがある。それは1573年の三方ヶ原の戦いにて敵の武田軍の策に追い込まれた際、家康が迫りくる武田軍が怖すぎるあまり、あるものを漏らしたというものである。漏らしたといって想像ついている方もいると思うが、家康はう〇こを馬上で漏らしてしまったのである。私が初めてこの話を知った時にはひっくり返りました(笑)。さらに、う〇こを漏らしたことを家臣に突っ込まれた際に家康が言ったこともまた面白いのである。家康は「う〇こではなく味噌だ」といったのである。これは流石に無理があるだろと突っ込みたくなります(笑)。
ちなみに、上の画像は家康が三方ヶ原の戦いでう〇こを漏らした際の自分の姿を反面教師として残すために描かせた自戒の肖像画といわれています。
3.「意外にも健康マニア?!」
家康には意外な一面がたくさんあるのですが、その一つに健康マニアという一面がある。栄養バランスを考えた食事や体に良い薬の使用など、健康に気を使っていたのである。天下人でありながらも、「ぜいたくな食事は月に2~3回程度でよく、それ以外は普通の食事でよい」と言っていたとも言われている。そのおかげもあってか、平均寿命50歳と言われていた当時において70歳以上まで生きていたのであった。
4.「家康の死因は天ぷら?!」
偉大な家康の最期はどのようなもであったのか。そこにも実は裏話が隠れているのである。あるとき天ぷらを献上された家康は、献上された天ぷらをたくさん食べたことで腹痛を起こし寝込んでしまう。すでに高齢であった家康は寝込んだまま体調は回復せず亡くなってしまったため、家康の死因は天ぷらなのではないかともいわれている。しかしこれには諸説ある。
5.まとめ
もしかすると、この記事を通して家康に対するイメージが変わったのではないだろうか。学校で教わる教科書には表の歴史のことしか書いてなく、つまらないという印象を持っているかもしれない。そんな方はぜひ、ネットや本を使って裏の歴史を調べてみるよいかもしれない。天下人家康が実は敵が怖くてう〇こを漏らしたレベルの面白い話と出会えるだろう。
筆者 いろいろ大学ブログ
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